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地方DX推進の鍵は“意外な企業”が握っているかもしれない

  • 江藤 美帆氏株式会社栃木サッカークラブ(Jリーグ「栃木SC」)
    取締役マーケティング戦略部長

日本ではこれまで「行政のIT化」に関するさまざまな議論が行われてきましたが、新型コロナウイルスの影響により、デジタル庁構想や地方自治体・中小企業のDX推進がより明確に打ち出されるようになりました。

事実、総務省は2021年度・地方自治体のDXに向けた予算に、前年度の約5倍となる38億8,000万円の計上を発表しています。

しかしながら、地方自治体や地域の中小企業にとってDXのハードルは依然として高く、現場での浸透・推進に時間がかかっている現状があります。

本記事では、地方DXが進みづらい要因を考え、解決の糸口を探るため、栃木サッカークラブ(Jリーグクラブ「栃木SC」の運営会社)でマーケティング戦略部長を務める江藤美帆(えとみほ)氏の実体験をご紹介します。

  1. 01コロナ禍以前の地方のDX事情
  2. 02コロナ禍で明暗が分かれた地方企業
  3. 03スポーツチームが地域のハブになる
  4. 04コロナ禍で私たちが得たもの

コロナ禍以前の地方のDX事情

栃木に引っ越して、もうすぐ丸3年になる。人口50万人を超える宇都宮市は、東京から新幹線で50分とアクセスも良く、地方だけど「田舎」という感じはしない。東京に本拠を置く大企業の支社も多く、お店などもだいたいのものは揃っている便利な街だ。だから私も、3年前にこの宇都宮市に本拠を置く栃木サッカークラブ(Jリーグクラブ「栃木SC」の運営会社)に転職してきたときは、東京とそんなに変わらない感覚で仕事ができるのではないかと思っていた。

宇都宮市駅前

しかしそんな私を待ち受けていたのは、予定共有のためのホワイトボードと電話とFAXとメールとすごく動作の遅いWindowsマシンだった。前職のITベンチャーでは、予定の共有はGoogleカレンダーを使い、社内のコミュニケーションには「Slack(ビジネスチャット)」や「Hangout(ビデオチャット)」、稟議は「rakumo」、社会保険の手続きは「SmartHR」、ストレージは「Dropbox」というふうにほとんどの業務をSaaSを使って遂行していた。それが当たり前の世界から来た自分からすると、世界がひと昔もふた昔も前にタイムスリップしたかのように思えた。

しかしこのような状況は、地方の中小零細企業では珍しいことではない。実際、栃木SCも社員数は17名、売上高9.7億円の立派な中小企業だ。Jリーグクラブということで認知度だけがそこそこあるので誤解されがちだが、中身は地方の中小零細企業となにも変わらないのである。

そんな環境の中に「元ITベンチャーの社長」という少し異色な人間が紛れ込んでしまったわけだが、幸いなことにこういったシステムを導入していくことに抵抗する人は社内にはいなかった。いきなりガラっと変えたら反発されるのでは?と心配していたのだが、思いのほかスムーズにいったのは2つ理由があったと思う。1つは、私が入社する2年前に就任した橋本社長が折に触れてシステムを入れたいという提案をして地ならしをしてくれていたということ、もう1つは私が「部長」というポジションで入ったことではないかと思う。急速に何かを変えるには、やはりボトムアップよりトップダウンのほうが話が早い。

周りの皆も新しいことを面白がってくれる人たちだったという幸運もあり、2018年に始まった栃木SCの「DX(デジタルトランスフォーメーション)」は、2020年の初めごろには平均的なITスタートアップの8割程度まで完了していた。おそらく地方の中小零細企業はもとより、他のJリーグクラブと比べても、相当DXは進んでいたと思う。

コロナ禍で明暗が分かれた地方企業

そして、そんな折に新型コロナウイルスによるパンデミックがやってきた。多くの企業と同じように栃木SCでも突如テレワークが導入され、ほぼすべての社員が在宅勤務となった。以前の栃木SCなら大混乱に陥っていたと思うが、幸いなことに現場はまったく混乱することなく普段どおり業務を進めることができた。それもこれもコツコツとDXを進めてきたおかげだった。

DX推進の一環として選手向けのSNS講習などを積極的に実施

コロナ禍での私たちのDXの取り組みは、スポーツクラブ=デジタル化が遅れている業界というイメージもあってか、メディアにもよく取り上げられた。そんな中で、たびたび地方の中小企業の経営者や部長クラスの方から「うちもやらなきゃいけないんだけど...何からやっていいのかわからないんだよね」「うちにも江藤さんみたいな人がいたらなぁ...」というお声がけをいただくようになった。最初のうちは、そんな声を聞くたびに相談にのって具体的なアドバイスをしていたのだが、あまりにもそういった声が多すぎるので、栃木SCで使っているSaaSのサービスを1つの資料にまとめて渡すことにした。

このときに、ハッとひらめいた。「これをビジネスにすればいいのでは?」と。

スポーツチームが地域のハブになる

栃木SCでは、近年東京のITベンチャー企業からもご支援をいただいているのだが、その際によく「地方におけるDX」が話題に出てきた。しかし、なかなか開拓がうまくいかない、という話は聞いていた。これは私自身が東京で小さなITベンチャー企業を経営していたからわかるのだが、ベンチャー界隈ではそこそこ名の知られた企業であっても、地方に行くと、けんもほろろに門前払いされることは少なくない。これには理由がいろいろあるのだが、1つはやはり地方における商売は「コネクション」がモノを言うということ、もう1つは「東京」という地域に対するアレルギー反応だ。ちなみに後者については地域差がかなり大きいが、大なり小なりどこでもあるのは間違いない。

栃木においてもこれは例外ではなく、同じ関東圏ということもありぱっと見はなんの障壁もないように見える。しかし、突き詰めていくと、ガラスの天井ならぬガラスの壁があり、なかなかその先に行けない。自治体と仕事をする場合もしかりである。

しかしそのガラスの壁をいとも簡単にすり抜けられる存在がある。それが、各地方に存在するプロスポーツチームだ。中でもJリーグクラブはリーグ発足当初から地域密着の理念を掲げていることもあり、ホームタウンやそこに存在する企業との関わりが深い。栃木SCも全部でおよそ400社ほどのパートナーにご支援いただいているが、その大半は栃木県内に本社または支社を置く企業である。もちろん、自治体にいたってはほぼすべてと深い繋がり、絆がある。地方の企業や自治体とのパイプ役としてこれ以上の存在はないのではないだろうか。

コロナ禍で私たちが得たもの

地方のJリーグクラブにとっても、SaaSベンダーと地元企業を結びつけることができれば、これが新たな収益源となる可能性がある。コロナ禍で入場料収入などの既存のビジネスモデルに拘らない収益源を確保しなければ生き残っていけないと言われる今、自分たちの資産をどのように収益化していくかは全クラブが問われている。

自社のサービスを活用してDXを進めたいSaaSベンダーにとっても、DXを推進したい地方自治体や企業にとっても、コロナ禍の今は「またとないチャンス」だ。というのも、DXを進めるに当たって大きな障壁になるのは、デジタルを使いこなせない人たちからの悲鳴にも似た声だからだ。経営層にも「デジタル嫌い」を公言して憚らない人は少なくないため、平時であれば彼らの声が優先され、一向にDXが進まないといったことも起こりえた。しかし今は「嫌い」などという個人の趣味趣向を言っていられる状況ではない。いつもならば通らない提案も「コロナだから仕方がない」で通る可能性は高いのだ。

コロナ禍によって、私たちは言葉では言い尽くせないほど非常に多くのものを失った。しかし、失ったものばかりではなく、得たものもあった。その1つがDX化のスピードだ。一説によると、このコロナ禍の影響でDXは「7年」早まったとも言われている。しかもDXによって進化した世界は、コロナ禍が去っても逆戻りすることはない。

地方は今、岐路に立たされている。5年後にはリモートワークが当たり前になっている社会において、東京に無理に住まなくていい若者をどれだけ取り込める(残せる)か。リモートワークが可能かどうかという観点だけで見ても、できる企業とできない企業とでは採用力に大きな差が出る未来が見える。DXの遅れが、ダイレクトに組織の弱体化に繋がるのだ。だから、地方こそ今このタイミングでDXを大胆に進めなければならない。地域のプロスポーツクラブにできることは、ただスポーツで街を明るくすることだけではない。さまざまな企業のハブになって地域経済に貢献すること、これこそが新しいスポーツクラブの在り方なのではないかと思う。

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