誰もが悩む「先延ばし癖」 その処方箋は本当にあるのか?

誰もが悩む「先延ばし癖」 その処方箋は本当にあるのか?

公開日:2022/11/15

やるべきことになかなか取り掛かることができず、後回しにしてしまう「先延ばし癖」。 それは古代エジプト時代のヒエログラフ(象形文字)にも見られ、人類の歴史とともにあった課題だという。*1 古代から哲学や宗教で扱われてきたこの問題は、現在、認知心理学や臨床心理学、行動経済学などの研究対象となっている。 試しに「先延ばし」をググってみると、たちどころに711万件ヒットした。インターネットにはその処方箋が溢れているが、それらは本当に役立つのだろうか。 最新の研究成果をふまえ、先延ばしのメカニズムと打開策について探っていこう。

人は先延ばしをする生き物

大学教員である筆者は、時折学生たちにレポートを課している。中でも期末レポートは評価に直結するため重要だ。それで、早めに要項を作って周知し、「レポートを提出しなければ単位を落とすことになりますから、早めに取り組んでくださいね」と繰り返し伝えてきた。 それにもかかわらず、ときどき締め切りが守れない学生がいる。「急病になってしまった」「身内に不幸があった」「急にパソコンが壊れた」が3大エクスキューズだが、真偽のほどはわからない。 期末レポートどころか、卒業論文も同じような状況だ。 以前勤務していた大学では、卒業論文は製本して専用の窓口に提出することになっていた。締め切りの時間がくると手前のシャッターが降りて、もはや窓口にたどり着くことすらできなくなってしまう。 係の人の話では、毎年、降りかかったシャッターをかいくぐる学生がいるとのこと。中には制止を振り切り、匍匐前進でわずかな隙間から滑り込んだツワモノもいるらしい。 卒業論文が提出できなかった場合、卒業が延びて、せっかく内定していた会社に就職できなくなるという悲劇的な事態が生じる。当然、経済的負担が増し、人生設計も狂ってしまう。 そんなことはわかりきっているのに、毎年どうしても締め切が守れない学生がいるのはなぜだろう。 いや、ひと様のことはいえない。 筆者自身、いつも綱渡りで、この原稿もデッドラインぎりぎりになって取り組んでいるのだ。 もし先延ばしのメカニズムが明らかになり、その打開策がみつかれば、多くの人にとって朗報となるに違いない。しかし、「そんなものがあるのなら、苦労はしないわ」とも思う。 実際のところはどうなのだろう。

心理学の研究:先延ばし行為と衝動性

結論を先取りすると、先延ばしのメカニズムは未だ解明途上である。*1
しかし、その解明に向けてさまざまな研究が行われている。

最近注目されているのは、脳科学の知見を援用した研究で、先延ばし行為と衝動性の関連にフォーカスするものだ。
この場合の衝動性とは、「誘惑をもたらす刺激への原始的な快楽反応」で、それが短期的な欲求を満たす行為につながるという。

衝動性と報酬

先延ばし行為と衝動性の関連に関する心理学分野の研究は海外で盛んで、それらの研究結果から以下のようなことがわかっているという。

まず、衝動性が強い人ほど報酬(ご褒美)を得られる時期に敏感で、先にならないと手に入らない報酬を軽んじる。それで、魅力のない行動によってもたらされる未来の報酬より、それよりは重要ではないがすぐに得られる小さい報酬を選んでしまう。

例えば、課題が完成したときには大きな達成感があるし、丁寧に取り組めばいい評価が得られるが、後にくる大きい報酬より、目先の楽しい活動の方を選ぶのだ。

衝動性が強い人は課題の締め切りが遠い先だと、その課題に取り組むためのモチベーションが下がる。締め切りを切実に感じにくく、好ましくない結果が目前に迫るまで、頓着しない傾向があるという。

遠い将来の報酬、つまり長期的ゴールの達成が難しいのは、目の前に繰り返し現れる他の選択肢、つまり達成するのが簡単な短期的ゴールを選んでしまい、身近で小さな欲求を満たしていくうちに、長期的ゴールの達成という報酬を求めなくなるからだという見解もある。

だとすれば、筆者のように時間的余裕をもって課題を提示するのは、そういう学生にとっては、かえって課題遂行を妨げる要因になってしまうのだろうか。

衝動性の高さは、主にパーソナリティによるという見解が多い。だが、その他にも、発達段階、刺激に対する五感の働き、置かれた状況や文化慣習の影響による違いも大きいことが研究によって明らかになっている。

自制心の問題

一方、先延ばしを制御する自制心に着目した研究もある。
自己制御力が高い人は、成績がよく、自尊心が高く、人間関係のスキルに優れ、前向きな感情をもつという特徴がみられるという。
一方、自己制御力が低い人は、対人問題のリスクが高く、失敗に対して恥の感情を抱きやすく、解決よりも防御や否定に向かいやすいということだ。

また、すべての領域で同じように誘惑を感じるわけではなく、人によって、特定の領域の誘惑が強く感じられ、自制心が働きにくくなるという。

自制心は衝動を調整する働きをするが、環境や個人の要因によって働きが妨げられ、課題を遂行する代わりに、気晴らしをするなどの衝動的な行動に至るらしい。

要因は複合的

以上のように、先延ばしが行われる場面、あるいは行われない場面では、個人のパーソナリティの他に、認知や感情、環境など個人差が現れやすい要因が複数あることから、先延ばしのメカニズムを明らかにするためには、複合的な視点が必要だという。

もしそれが事実であれば、先延ばしに有効な唯一絶対の方法など存在しないのではないだろうか。巷に溢れる処方箋は「仮説」の1つだと考えた方がよさそうだ。

行動経済学の研究:自制心を働かせるためには?

人は目先の満足のために長期目標を諦める。この問題を克服するためには自制心を身につける必要があるが、それを果たせずに繰り返し挫折しがちだ。多くの人に苦悩をもたらすこの問題の打開策はないものだろうか。

行動経済学の権威、デューク大学のダン・アリエリー教授も先延し問題に取り組んでいる。*2

「宣言」が助けになる?

教授は学生を使って実験を行った。
12週間の学期中、レポートを3回提出してもらうことにして、3つのクラスで締め切りを変えた。

・Aクラス:学期が終わる前ならいつでも提出していい。ただし、早めに提出しても成績が上がることはない。
・Bクラス:締め切りを学生が自分で設定し、その決意表明をしてもらう。ただし、提出が遅れたレポートは1日遅れるごとに成績を1%下げるというペナルティを科す。
・Cクラス:教授が3つのレポートのそれぞれに締め切りを設け、第4週、第8週、第12週に提出するよう指示する。

その結果、一番いい成績だったのはどのクラスだろうか。
最もいい成績を上げたクラスは、Cクラス、つまりアリエリー教授が締め切りを設定したクラスだった。次に成績がよかったのは、学生が自分で締め切りを設定し決意表明したBクラス。そして最も成績が悪かったのは締め切りを設定しなかったクラスだった。

つまり、自由を厳しく制限し、等間隔に配置した締め切りを強制することが、先延ばしに一番効果があったということだ。
しかし、教授にとって最大の発見は、「締め切りをあらかじめ決意表明する」というツールを与えるだけで、学生たちがいい成績を上げる助けになったということだった。

ほとんどの人が先延ばしの問題を抱えているが、そうした自分の弱さを自覚している人の方が、ツールを使って自力で問題を克服することができると教授は言う。

この実験の再現性がどのくらいあり、このことを一般化することが妥当かどうか筆者には正直わからない。
しかし、アリエリー教授の導き出した考察結果には、直感的に頷けるものがある。

筆者自身もそうだが、「早く取り掛かるべきことがあるのに、なかなかその気になれない」とき、「明日までには必ずやります」「今週中には終える予定です」などと、明確に期限を切って周囲や関係者に宣言する人を何人か知っているからだ。

そして、筆者も含め、そういうことをする人たちは、自分に引き延ばし癖があることを自覚しているし、そうやって自分を縛ることが先延ばしを断ち切ることに効果的だということを経験的に知っている。

上の実験のように、他者によって自由を厳しく制限されることは時として効果的かもしれないが、先延ばしはむしろ自己管理しなければならない環境で生じるものだから、それを他者に期待するのは難しい。

最善策かどうかは別として、「自ら明確に期限を設定し、それを周囲や関係者に宣言する」ことが先延ばし問題を解決する助けになるというアリエリー教授の見解には、耳を傾ける価値があるのではないだろうか。

自分の好きなもので目先のマイナス要因を打ち消す

これまでみてきたように、人は長期的な利益にフォーカスするのが苦手だ。
ある望ましい行動が好ましいものではない場合、最終的な結果が望ましいものであっても、その行動をとるのは難しい。
処方箋はないものだろうか。

ここで、アリエリー教授が実践した方法をご紹介したい。
教授が若かった頃の話だ。

30数年前、教授は大やけどを負い、治療のための輸血で肝炎になってしまった。肝炎は一旦治ったかにみえたが、8年後に再発し、当時実験的治療だったインターフェロン治療を受けることになった。

それはひどく辛い治療だった。注射の後の発熱、吐き気、頭痛、嘔吐・・・。
当時大学院生だった彼は、半年の間、毎週月・水・金曜日に、インターフェロン注射を自ら太ももに打った。その度に激しい副作用に襲われる。なんとか体調が戻るのは、翌日だった。
16時間もの間、続く苦痛と、治療によって将来は治るという望み―それは、激しい葛藤に向き合う経験だった。

実際、医師に言われたとおりの治療法を守ったのは、その実験計画に参加した患者の中で、教授ひとりだったという。
治療の苦しさを思えば、それは無理のないことだ。

では、教授は人並はずれた強靭な精神力の持ち主だったのだろうか。
そうではないと教授はいう。

教授の秘訣は、苦痛をもたらす注射と欲求とを組み合わせることだった。
注射を打つまでは大好きな映画を我慢して、打った後は好きなだけ映画を観てもいいというルールを自分に課したのだ。

注射の日は、学校帰りにビデオショップに寄って、見たい映画を2、3本選んだ。それをカバンに入れ、後で観るのを楽しみにする。
そして、注射を打つと、急いでハンモックに飛び込み、嘔吐用のバケツを近くに置いて、自分だけのミニ映画祭を始める。

タイミングが大切だった。注射が終わった瞬間、つまり副作用が始まる前にビデオの再生ボタンを押し、映画を楽しむのだ。

こういうことを繰り返すうちに、脳内では、注射と副作用の結びつきより、注射と映画の結びつきの方が強くなり、辛い治療を続ける助けになったという。

この経験から得た教訓は一般化できるのではないかと教授は考えている。
嫌いだけれど自分にとって利益になるものと、自分の好きなものを組み合わせることで、自制の問題をいくらかは克服できるかもしれない―それがアリエリー教授の見解だ。

魔法の方法はない

これまでみてきたように、引き延ばしのメカニズムはまだ解明途上だ。自制心を強くする方法も確立されていない。
したがって、引き延ばしを解決する、魔法のような方法はないのだ。

では、どうすればいいのか。
ヒントは、アリエリー教授の次の言葉にあるのではないだろうか。

「秘訣はそれぞれの問題に対して正しい行動強制手段を見つけることだ」

見つけるのは、あくまで自分自身だ。
巷に溢れるハウツーものより、その方がずっと有益ではないだろうか。

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この記事を書いた人

横内 美保子

博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。
高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。
パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。

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