ITやビジネスシーンで多用される「カタカナ新語」。誰かを置き去りにしていないか?
公開日:2023/1/13
ITやビジネスなど、進歩の早い分野では常に新たな言葉、概念が生まれるもの。
その多くは外来語であり、日本語の特性上音訳がしばしば用いられるため、世間には新たなカタカナ新語が氾濫しがちである。
そのこと自体は何らおかしいことではないし、これまでもずっと見られた現象に違いない。
だが、自分はメディア業界で働いてきた者として、現状にあえて一石を投じたい。
それは、「それらの新語を使う時、誰かを置き去りにしていないか留意すべき」という注意喚起である。
例えば、どこかしらの企業HPを覗いてみると、ポリシーの中に
「誰も置き去りにしない社会を目指して」
などと謳いつつ、その割にはやたらとカタカナ新語が説明もなく並んでいることがある。
バリュー、ソリューション、インクルーシブ……それぞれ今や普通に使われる言葉となっているとはいえ、世の中には意味が分からない人だって当然いる。
筆者はこれまでメディア業界で働く中で、難しい表現や新語、常用漢字に含まれない言葉などの取り扱いには特段の注意を払うよう教えられてきた。
言葉は、相手に伝わらなければ意味がない。
媒体は読者あってのものであり、難しい表現を使って読み手を切り捨てることがあってはならない。
そのような観点からすると、本来万人に向けているはずの文章の中で難解なカタカナ新語が普通に出てくることに、一抹の不安を覚えてしまう。
世の中の先を行っていることのアピールに意識が集中するあまり、解説や注釈なしに使われる一つ一つのカタカナ新語が一体何人を置き去りにしているか、考えが及んでいないのではと感じるのだ。
そのような問題意識のもと、続々と誕生するカタカナ新語との向き合い方について、検討および提案を行ってみたい。
受け手に届かない言葉に意味はない
例えば、最近一部でよく聞く単語に「リスキリング」というものがある。
「Re-skilling」の音訳語であり、その定義は技術革新やビジネスモデルの変化に対応するために新たな知識・スキルを学ぶこと。
むろん今の時代、そのようなスキル習得が重要なのは言をまたないが、もし論説などでこの言葉を使うのだとしたら、真っ先に求められるのは言葉の定義を伝えることだ。
リスキリングが単なる学び直しとどう違うのか、本来なら説明を加えるべきなのだが、往々にしてそういった配慮がなされないことがある。
「そんなの分からない方が遅れている」
「新たな概念に対するアンテナ感度が低い時点で問題外」
などと公言する人は少ないだろうが、実際には無意識にそう思っていると捉えられても仕方がない勢いで使う方も、中にはいる。
せめて、そのような方は自分で自分の言葉が響く範囲を狭めていることを自覚すべきだが、「先を行ってる感」満点の言論を展開する人ほど、ついみんな分かっている前提で話を進めてしまうものだ。
しかし、そういう人ほど同じ文脈、はたまた別の講演機会などでSDGs(持続可能な開発目標)がどうこうと言うことがある。
これは、いかにも恥ずかしい。
なぜなら、「誰一人取り残さない」(leave no one behind)ということはSDGsの理念の一つであり、このような方はSDGsとは何であるか、実は理解していないと公言しているに等しいからだ。
筆者は中国在住のため、深圳などで事業を営む若き経営者などにインタビューすることも多々あるのだが、聞いた話を文字起こししていて一番困るのが、まさにこのカタナ新語である。
「自分のバリューを最も高められるのがこのビジネスモデルだと思いまして」
ここで登場した「バリュー」という言葉を、より分かりやすくすべく勝手に「価値」と直すのは、もちろんNG。
だが、せっかく内容のある話をしているのだから、一人でも多くの読者に届くよう、せめて語義の説明を加えるべきだと思うし、この文脈なら価値と言い換えてもいいと思うーーそういうことを考え、インタビュー相手と相談しつつ文章をまとめるのである。
新興の業界にいる優秀な方は、このような新しいカタカナ新語をよく使うし、大半の方はその概念を十分理解して言葉を発している。
だが、そういった進んでいる人ほど、この「置き去り問題」について意識が希薄になりがちなのもまた事実だ。
自分が理解していても、受け止める側が分かっていなければ、そのメッセージは「空砲」と同じ。
新たな概念を表すカタカナ新語を使う際には、ぜひそのことを頭の片隅に置いておいていただきたい。
大事なのは、カタカナ新語に真摯に向き合う姿勢
そもそもカタカナ新語においては、日本語には仮名という便利なものがあるせいで、一般に音訳が好まれる。
それに対し、筆者が住む中国では漢字の性質上、純粋な音訳は少なめで、例を挙げると、デジタルトランスフォーメーションは「数字化转型」、プロトコルは「协议」という。
前者は「数字化」(デジタル化)+「转型」(モデルチェンジ)という外来の語彙を組み合わせたものであり、海の向こうからやってきた語彙を吸収する上で元の意味を考え、訳した苦労がしのばれる。
ちなみに、中国の音訳の歴史においては、『西遊記』でおなじみ玄奘が、仏典翻訳において「五種不翻」という原則を掲げたことで知られる。
これは非常にざっくりと言ってしまうと、サンスクリット語から中国語に訳す際、原語が持つ神秘的意味や真意が失われるといった五つのケースを定義し、その場合は音訳によるべしとするものである。
言うまでもなく、ITやビジネス用語においては音訳することで奥深い精神的意味が失われるなどと心配する必要はないため、音訳を用いない翻訳作業が行われがちだ。
中国語と日本語の外来語彙への向き合い方については、むろんどちらがいいという話ではないし、カタカナでどしどし取り込む日本語の方が楽なのは確か。
だが、筆者の個人的意見を言えば、カタカナが便利すぎるあまり、原語をしっかり噛み砕いて自分のものとする作業が日本では不足しているように思える。
つまり何を言いたいかといえば、新たに生まれるカタカナ新語について、われわれは原語の咀嚼が足りないのではないか。
さらに、その意味をしっかり理解しようとする努力が足りているかどうか、自問すべきではないかということである。
それは、使う側だけでなく受け止める側も同じ。
例えば、「インクルーシブ(包摂的、包括的、物事全体を包み込むといった意味)な社会を目指して」といった文脈で、それって大事だよねと思いつつも、実はインクルーシブとは何かということについて、分かったふりをして読んだり聞いたりしていないかということだ。
さすがに大手メディアなどの文章では、何の説明もなくこういった言葉が使われるケースはまず見かけない。
だが、オンラインのセミナーやフォーラムなどに取材で参加させてもらった際、まさに「カタカナ新語ラッシュ」と呼ぶべき話をする人は割といる。
むろん、語っている本人は意味を理解している(はず)なのだが、受け止める側がどれほど分かっているのかと疑問に思うことも少なくない。
こういう場合、「それってどういう意味でしょうか」と発言するのは、なかなか困難なことではある。
話を遮ることになるし、自分がその概念を知らないと暴露することになるからだ。
一番良いのは後から自分で調べることだが、それを皆がやっているかというと、筆者は疑問に感じる。
そして自分が何より心配なのは、そうして分かったふりをする人が一部存在することで、意味の理解が十分でないまま、世の中で普通に使われる言葉となることである。
変化が早い現代においては、今後もますます外来の新たな概念、新たな語彙が日本語の中に取り込まれていくことだろう。
重ねて言うと、それは時代の要請であり、必要があるから生まれているのであって、何も不思議なことではない。
大事なのは、その言葉の洪水に溺れてしまったり、わけが分からないまま乗ってしまったりしないことだ。
誰かを置き去りにすることなく用い、受け止める側も言葉の意味を理解しようと常に努める。
そのような姿勢が今、われわれには求められている。
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この記事を書いた人
御堂筋 あかり
スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。