「本当のプロ」とはどういう人?ドラッカーの言葉から「プロ意識」を考えてみよう

「本当のプロ」とはどういう人?ドラッカーの言葉から「プロ意識」を考えてみよう

公開日:2023/3/8

「マネジメントの祖」とも呼ばれるP・F・ドラッカーは20年以上前に、このような興味深い指摘をしています。

一九五〇年代、六〇年代のアメリカでは、パーティで会った人に何をしているかを聞けば、「GEで働いている」「シティバンクにいる」など、雇用主たる組織の名前で返ってきた。
当時のアメリカは、今日の日本と同じだった。イギリス、フランス、ドイツその他のあらゆる先進国が同じだった。
ところが今日アメリカでは、「冶金学者です」「税務をやっています」「ソフトウェアの設計です」と答えが返ってくる。少なくともアメリカでは、知識労働者は、もはや自らのアイデンティティを雇用主たる組織に求めなくなっており、専門領域への帰属意識をますます深めている。
今日では日本においてさえ、若い人たちが同じ傾向にある。

<引用:P・F・ドラッカー「プロフェッショナルの条件」ダイヤモンド社 p.viii-ix>

ドラッカーが指摘したこの変化から20年、当時は「若い人たち」だったみなさんも、現在まさにその通りになっているのではないでしょうか。
「営業です」「事務です」と職種で答える、あるいは「ITです」「保険です」と業種で答える人もいることでしょう。

では、「あなたは何のプロですか?」と聞かれた時、どう答えるでしょうか?

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「何のプロですか?」
そう聞かれた時、自営でライターとして働き、そこで大半の収入を得ている筆者の場合は答えは比較的単純です。何かと聞かれれば、「ライティングのプロ」と答えられます。
「プロ」=その道で生計を立てている人、そう一般的には捉えられるでしょうか。これにも合致しています。

ただ、筆者はかつて、いや今も「プロ」とは何か?について考えることがあります。
それは、趣味である(と本人は考えているはずだった)サックス演奏についてです。

アマチュアバンドのライブ活動に多いのは、いわゆる「対バン」と言われる形式です。仲間のバンド数組でお金を出し合ってライブハウスやホールを借り、好き好きに演奏をするという形です。

演奏に対してお金をもらうかどうかはケースバイケースです。来店客から自由意志でのチップを自分達で集めるケースもありますし、そのようなことは全くしないこともあります。
また、入場料を設定するものの、あくまで主催者のギャランティに充てる目的であり、演者はもらうわけではないという場合もあります。
あるいは、特定のバンドを目当てにした来客が入場料を払った場合、そのバンドに還元するという形です。

これら形式の範囲内では、筆者は趣味と考えていました。

しかし、ある時期のことです。
ピアノ(キーボード)を演奏する友人とデュオを組み、個人的な繋がりのある飲食店で演奏する機会を多く頂いていました。

基本的には無料、あるいはチップという形でやっていたのですが、そんなある日のことです。
筆者らが飲食店での演奏活動をしていることを知ったある飲食店の店長から、うちで一晩ライブをやってほしいというオファーをもらったのです。

この日はチップなどというものではなく、あらかじめミュージックチャージが織り込まれた価格で、その日限定のディナーコースが提供されていました。
そして帰り際に、ミュージックチャージ分を現金で受け取った、という形です。

そのとき、ふと思いました。この活動形態は「趣味」の範囲なのか?
チップとは意味合いが大きく異なります。

「1円でもお金をもらったら、それはプロとしての自覚が必要なのではないか」
筆者はそう考えました。

「プロ」の色はさらに濃く

そして、最近になって、筆者は新しい事態に遭遇しています。

ある日いつも通りの対バンイベントに出演していた日のことです。その場に偶然プロミュージシャン(彼の場合は大手アーティストのサポートを多くこなしているので、プロと呼んでよいでしょう)が居合わせ、のちに数人を経由して「清水さん(筆者)と連絡を取りたいという人がいる」と伝えられました。

そこで話を聞いたところ、自分と一緒に「プロに近いところ」で活動してみないか、というお誘いがあったのです。
そこから、まさに先に述べたような、「ミュージックチャージありきの現場」での演奏の機会が増えました。

かつ、筆者に声をかけてくれたそのミュージシャンは、「あなたの音はじゅうぶんプロだと自覚していい。誰かのコピーをやっている演奏者はなくて、清水沙矢香という一人のプレイヤーだよ」
と話しました。

お金をもらえればプロなのか?プロが認めればプロなのか?筆者は混乱しました。
そして「セミプロになっていく過程」というポジションを自分に与えることで気持ちを落ち着けました。

ここからは「プロ」だと感じた決定打

しかし、さらに新しい出来事が発生します。
音楽教室を経営する知人から「教室を拡大するので、その準備ができたら講師をやってもらえないか」とお声がかかったのです。

お金をもらって、スキルを教える。
これはもう、「プロ」の領域だと筆者は思いました。それゆえにしばらく悩みました。友人に対して個人的にスキルを教えるのとは、責任が大きく違うからです。ただ、自分の勉強にもなると考え、話を引き受けました。

開講はまだ先になりそうですが、これは自分の「プロとしての仕事」になるだけに、準備をしなければならないと考えているところです。

仕事の「目的」を問うこと

これらの出来事を通して、「プロ」と「収入」には何らかの関係性があることは間違いなさそうだと筆者は考えるようになりました。
「お金をもらって何かをする」。そのことに自分がプロだと感じるかどうかは人それぞれでしょう。しかし「プロ意識」は生産性を向上させるためにも大切なようです。

ドラッカーは、このような事例を紹介しています。この事例は生産性向上の文脈で紹介されていますが、重要なことだと筆者は考えます。

知識労働者の仕事は、充実するどころか不毛化している。当然、生産性は破壊される。動機付けも士気も損なわれる。

<引用:P・F・ドラッカー「プロフェッショナルの条件」ダイヤモンド社 p59>

そのうえでドラッカーは、目的を明確にすることが重要だと説いています。

あるデパートでは、店員の仕事は「売ること」という答えを出した。ところが、場所も客層も同じような別のデパートでは、「客にサービスすること」という答えを出した。答えの違いによって、売り場の仕事をどう考えるかは異なった。しかしいずれも、フロア当たり、一人当たりの売上は急速かつ実質的に増大した。

<引用:P・F・ドラッカー「プロフェッショナルの条件」ダイヤモンド社 p59-60>

筆者の中での迷いも、この考え方によって明確になりそうです。

プロミュージシャンと呼ばれる人にも、いくつか種類がありますし、目的も異なります。

音楽や楽器の楽しさを広めたいという目的を持っている人。自分の存在の爪痕を残したいという人。ひとつひとつの仕事について目的を明確に持っている人は多くいます。

そう考えれば、「ボランティアのプロ」も存在します。最後は結局、本人の自覚によるところが大きいのも事実でしょう。

さて、筆者は今後プロとして、どう考えていくか?
それを自分に問うているところです。引き受けたからには「漠然とやる」ではいたくないとものです。

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この記事を書いた人

清水 沙矢香

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

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