1.大規模なシステムを導入しなくても、デジタル技術を導入しやすい時代に
近年、ビジネスの現場ではIoT、5G、AIといった新しい技術を活用した事業の話題がよく聞かれます。しかし、IoTをはじめとしたデジタル技術の第一人者である東京大学の森川博之教授によると、大企業では新しい技術の導入が積極的に進められている一方で、多くの中小企業はまだその流れに追いついていないといいます。
「日本の経済は会社数や雇用数をみても、圧倒的に中小企業に支えられています。したがって、コロナ禍もあり経済が低迷する中で、日本を活性化させるには、中小企業がイノベーションを起こすことが重要です。その鍵となるのが、デジタル技術の導入です。
とはいえこれまで、資金力のない中小企業にとっては、大規模なデジタル投資を行うのは難しいという現実がありました。2020年にはコロナウイルスの感染予防のために、都市部ではテレワークが普及しましたが、地方ではまだまだオンラインに抵抗がある方が多く、働き方改革や業務効率化も進んでいないのが現状です」
ただ、このような状況に危機感を感じ、何とかしようと考えている中小企業の経営者は少なくないようです。最近、森川教授に対して、地方の経済団体や商工会議所、地銀などからデジタル技術に関する講演の依頼が増えているといいます。
「新しい技術について積極的に学びたいと考える企業が増えてきていると感じます。今後、人口減少で労働力の確保が難しくなっていくことに強い危機感をもち、自社の事業や働き方を改革したい方は多いですね。自分たちのビジネスに新たな価値を生み出す可能性があるIoTやAIにも強い関心をもっています。
このように意識が向上している今こそ、デジタル化を進めるチャンスです。現在は、低価格で利用できるクラウドサービスや無料のオンラインツールも増えているので、大規模なシステムを導入しなくても、中小企業がデジタル化を進めやすい状況になってきています」
2.IoTの活用で顧客満足度を上げ、新たな価値を生み出す企業も
中小企業にとって、デジタル技術を導入しやすい環境は整ってきましたが、実際にIoTなどを活用してイノベーションを起こしている企業が現れています。
「IoTというと大規模な投資が必要で、自分の会社とは関係ないと考える経営者の方もいるかもしれません。でも、実はセンサーなどの簡単な装置を導入するだけで、劇的な効果が現れることもあります。たとえば、埼玉県のバス会社、イーグルバス株式会社(以下、イーグルバス)はたった2つのセンサーを導入しただけで、業務の大幅な効率化を実現し、赤字から黒字に転換することに成功しています」
イーグルバスでは全路線バスにGPSと赤外線センサーを設置し、停留所ごとの乗降客数や季節、曜日、時間帯による増減、バスの遅延などのデータを取得。それらを緻密に分析したうえで利用ニーズを把握し、それに最適化したかたちでバス停の再配置や時刻表の改正を行いました。その結果、コストを削減しながらも乗降客数が増え、ユーザーの満足度も高まったといいます。
「四国では古紙回収ボックスをスマート化したシステムが成功を収めています。回収ボックスにセンサーとSIM カードをつけ、古紙が今どれくらいたまっているかがリアルタイムでわかるようにしたものです。この仕組みにより、回収業者は無駄のないタイミングで古紙を回収できるようになりました。回収の頻度が3分の1ほどになったことで、コストも大幅に削減できたといいます」
さらに、この古紙回収システムを人の集まるスーパーの敷地内に設置し、古紙をもっていくとスーパーで使えるポイントを付与する取り組みも開始。ポイント分の費用は、このシステムの導入で浮いたコストを元に、古紙回収業者が負担しています。
古紙回収業者にとっても、スーパーにとっても、ユーザーにとってもメリットがある、良いビジネスモデルが生まれています。このように、普段の業務に、少し新しいシステムを取り入れるだけで、新しい価値が生まれることがあるのです。
3.イノベーションは現場の気づきや外部の視点から生まれる
ここまで紹介してきたように、すでにデジタル技術の活用でイノベーションを起こしている企業は少なくありません。そうした企業の成功要因はどのようなところにあるのでしょうか。
「イノベーションというとおおげさなことを考えがちですが、まずは現場の方々による日常業務のなかでの小さな気づきがスタート地点となります。まずは普段当たり前に行っている業務を棚卸しし、一つひとつの業務に対して他のやり方はできないか、改善するポイントはないかと検証してみることをおすすめします。中には、デジタル化することで問題が解決する場合もあるでしょう」
さらに、より気づきを得やすくするためには、社員に対して研修や勉強会を行い、業務改善に対する意識を高めることも有効だといいます。そういった意味で参考になるのが今、業績も非常に好調な株式会社ワークマン(以下、ワークマン)での取り組みです。
「作業着などで有名なワークマンでは、全社員にエクセルを必須スキルとして学ばせているそうです。エクセルでのデータ分析の基本を学ぶことで、例えば『相関』の考え方を身につけることができます。それによって、たとえば雨が降った日にはある商品の売り上げが伸びる、などといった相関関係に気づくことができるようになるのです。実はAIに頼らずとも、エクセルだけでもかなり高度なデータ分析ができます。エクセルであれば、中小企業でもすぐに取り入れることができますよね」
このように、デジタル化をすすめるには、まずは現場の人の意識や取り組みが大事です。とはいえ、日常的に行っている業務は当たり前すぎて、自分たちでは問題点に気づきにくいケースもあります。そこで重要になるのが、外部からの視点です。
「イギリスのフィンテックベンチャーであるタンデム社がおもしろい実験をしたことがあります。“パブが銀行の窓口のようなサービスをしたらどうなるか”というテーマです。お客さんはパブに入ると、まず番号札をとり、順番待ちをします。自分の順番が来てビールを注文すると、『担当が違うので別の担当者を呼びます』とさらに待たされます。最後の支払い時には手数料までとられ、お客さんからは大不評……。
でもこれは、銀行であれば日常的に見られる光景ですよね。この実験ではパブを引き合いに出すことで、銀行のサービスにも改善の余地があるかもしれないことを明らかにしました。このように、異なる視点から見ることで、当たり前に行っていたことの中から課題を発見できるのです」
今までと異なる視点を持つことが新しい発想につながります。そのためには、まったく異なる部署や業種の人たちと交わることで得られる外部からの視点が大切です。このような多様性が新しい発想につながると森川教授はいいます。
4.中小企業は日本の宝。失敗を恐れず新しい挑戦を
中小企業がデジタル技術を活用し、イノベーションを起こすためには、現場での気づきや外部からの視点を得ることが重要です。そのためには、経営者や管理職がリーダーシップを発揮することが欠かせません。最後に、そうした経営者や管理職の心構えについて聞きました。
「デジタル技術を使った新しい試みは、すぐに成果がでるとは限りません。むしろ最初は失敗のほうが多いかもしれません。でも、その失敗によって知見が蓄積され、PDCAを回すことで成功へと近づいていくのです。よって、会社の幹部や上司の方は、部下が失敗しても責めず、むしろ失敗を褒めるくらいの姿勢でいていただきたいと思います」
中小企業の良さはトップが方針を決めればスピーディーに、フットワーク軽く新しい取り組みに挑戦できること。そんな中小企業に対して、森川教授は大きな期待を寄せています。
「中小企業は日本の宝です。日本の県内総生産数の最下位は鳥取県ですが、それでも、天然資源が豊富で“世界一豊かな国”ともいわれるブルネイと同じくらいの経済規模です。地方を基盤にする中小企業には、自分たちが考えている以上に大きな力があるのです。そんな中小企業のみなさんにはぜひリスクや失敗を恐れず、新しいことにどんどん挑戦していっていただきたいと思います」