「社員はコストではなく活用すべき資産」
人的資本経営とは、人材を価値が伸び縮みする「資本」として捉え、その価値に戦略的に投資して最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方のことです。なるべく人件費を抑え、株主還元の原資と内部留保を確保しようとする経営とは真逆の考え方と言えます。
こうした定義に加えて、徳谷さんはイベントで、こんな表現で人的資本経営の意味を解説しました。
徳谷:「人(社員)をご機嫌にしましょうということではなくて、人を資産だと捉えて、人という資産を活用することによって事業を成長させて企業価値を高めていくという考え方です。
人件費はこれまでコストと見られていましたが、そうではなく人こそが資産だという考え方です。人を活用することによって事業も伸びる、会社も成長していく。人的資本経営はこれらの考え方をもっと取り入れていきましょうということです」
徳谷さんは、人的資本経営の考え方は米国で「ヒューマン・キャピタル・マネジメント」というキーワードとともに先行していたとした上で、日本で流行り出したのは1、2年前だと語ります。背景に、2023年3月期決算から上場企業などを対象に人的資本の情報開示が義務化されたことがあると説明しました。
徳谷:「急にお尻に火がついたというか、政府による義務化でやらないといけなくなったからですね。ただ、開示に向けて政府が出している指針がある一方で、『じゃあ何をやったらいいのか』『どこまでやったらいいのか』といった詳細は完全に固まっていないのが課題です」
上場企業の9割が「課題」と回答
2022年にエッグフォワードが行った調査によれば、「人的資本の情報開示に向けてすでに取り組んでいる」「取り組みを予定している」と回答した上場企業は計86%に上ります。
一方、同じ調査で「課題を感じているか」という質問には計94%の上場企業が「非常に感じる」「やや感じる」と回答しています。
徳谷さんはこうした上場企業の状況を説明した上で、人的資本経営に積極的に取り組んでいるキリンホールディングス他の事例を紹介しました。
キリンHDでは「会社と従業員は対等な関係」
例えば、キリンホールディングスでは、従業員と会社は“対等な関係”であるという基本思想を掲げています。「会社は“自律した個”である従業員を尊重し、支援する」という考え方を明確に打ち出しています。
徳谷:「会社側が全て個人をお膳立てするのではないということです。要は従業員が自分で考え、自分の意志を持って仕事をしていくことを是としています。キャリア形成の主体は個であり、そこに対して会社は機会を提供するという形です。
会社としては当然、プロとしての仕事を求めますし、期待・役割を明確にします。逆に個として成果を出せばきちんと尊重しますという方針をキリンホールディングスは、市場に対してもかなり強く開示されています」
徳谷さんはこうした事例を参考にして中小企業でどのような“基本思想”を設計すればよいのか、ポイントを述べました。
徳谷:「中小企業の場合は社長の中で何となく方針はあるものの、それがあまり言語化されていないケースや、新しく入ってきた従業員との意識が違うことがあるので、従業員への投資についての基本方針を明確にすることは大事です。採用力を高め、入社後活躍し続けてもらうためにも、自分の会社がどういった方針で人・組織を捉えているのかを明確にするのは大企業、中小企業を問わず大切だと思います」
人的資本経営が目的化するのはNG
徳谷さんは、人的資本経営に取り組むにあたり、その目的をしっかり定めることが重要だと指摘しました。
徳谷:「単にサーベイをやればよいという話ではなく、まずやるべきは、改めてどんな組織でありたいかの目線合わせです。新しい事業やイノベーションが生まれる組織とは?生産性を上げるためなら『生産性』の定義とは?働いてる個々の方々がいきいきとやりがいを持って働いているとは?……それぞれの施策に対してどんな結果を残すのかを明確にすることが重要です。
共通認識を持ち、それぞれの施策について目的と課題を設定し、それぞれを実行していくということです。
そのためには、明確なゴール指標を置くことが非常に大事です。結局何をもって『うまくいっている』『いっていない』と判断するかの指標がないと、『何となくみんなが元気な気がする』『モチベーションが上がった気がする』などと主観になってしまいます」
徳谷:「中小企業であれば売り上げの目標はおそらくほとんどの会社が持っています。でも生産性や創造性などが組織の目標になったときに、どうなったら達成なのか、実はふわっとしているケースが多いのです。
全社での採用人数や離職率、女性社員の比率など結果が示せる目標に加えて、ポイントはやはりできるだけ数字で具体的に追える目標を設定することです。例えば、1人当たりの付加価値、世代別や組織別の組織推奨度、成長実感等ですね」
上場企業の場合、人的資本経営の情報を1度開示して終わりではありません。継続して開示していかなければなりません。徳谷さんは、決めた指標を継続して「見える化」して改善し続ける必要性について解説しました。
徳谷:「モニタリングした結果、改善していないのであれば何が課題でどうしていくのかというのを追い続けていかないといけないです。中小企業は、指標を細かく設定しすぎるよりも、組織としてのゴールとなる需要指標を置いて継続して改善し続けることがすごく大事になります。組織規模の大きい大企業よりも、ある意味で施策の効果もすぐ出やすいんです」
中小企業が人的資本経営に取り組む意義
そもそも中小企業にとって情報開示義務のない人的資本経営は取り組む必要があるのでしょうか。
徳谷さんはその必要性を感じるのであれば取り組むべきだが、「上場企業が取り入れているからという理由だけでは不幸になる」と指摘します。
徳谷:「トップや役員が『やれ』と言って、ほかの人たちは『こんなのやる意味ない』と思ったまま走っちゃうと絶対に行き詰まる。『そもそも本当に人的資本経営に取り組むことが必要なのか』ということを中小企業はまず目線合わせをしたほうがいいと思います。
人的資本経営と言うと、概念的に聞こえるかもしれませんが、採用難、キーマン離職、若手が定着しない等、人のことで悩んだことのない中小企業経営者はいないでしょう。逆に、私たちが支援している、成長し続ける中小企業は、経営者依存だけではなく、必ず人に目を向けるようになっています。
社内の方がいきいき働くことや、活躍してる方が辞めずにどんどん成長していく、そして優秀な方が次々と入ってくるような採用力を上げ、次の成長の柱がどんどん生まれていく……そういった構造を創ることが何より大事です。人的資本経営に取り組むことは、そうしたことを考える良いきっかけになると思います」
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文:比嘉太一
撮影:鈴木愛子
デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)
編集:中村信義