「資金力がない=DXはできない」の誤り
デジタルトランスフォーメーション(DX)は、デジタルテクノロジーとデータによって、企業を変革していく取り組みです。その推進にはIT環境を整えるだけでも多大な投資が必要で、中堅・中小企業には実現が難しいのではないか──。これがDXに対する一般的な見解といえます。
ところが、南山大学の青山幹雄教授は、そうした見方を次のように否定します。
「中堅・中小企業は、大企業に比べてIT予算が少なく、デジタルテクノロジーに精通する人材が少ないのは事実です。ただし、だからと言って、DXの推進が難しいと考えるのは間違いです。今日では、Raspberry Pi(*1)のような優れたIT機器が非常に安価に入手でき、たとえば、製造企業が、生産設備のデータ収集からDXの取り組みを始めるのであれば、1万円程度の投資で着手できます」
加えて、クラウドサービスを使えば、必要なITインフラやテクノロジーを莫大な初期投資をかけずに活用でき、また、自社では解決できない技術的な課題に突き当たったときには、外部のIT企業に協力を仰ぐ手があります。
「DXで成功するかどうかは、会社の規模とは関係がありません。経営トップの変わろうとする意志やビジョンに周囲が共感し、会社全体でDXに本気で取り組むかどうかの問題です」と、青山教授は説明を加えます。
*1 数千円と安価で購入できるシングルボードコンピュータ。日本語では通称「ラズパイ」とも。
DXに成功する中堅・中小企業には、3つの戦略がある
青山教授によれば、大企業に比べて組織の規模が小さい中堅・中小企業のほうが、経営トップの意志やビジョンのもと、会社が一丸になれるスピードは総じて速いといいます。そして実際にも、DXへと経営の舵を切り、相応の成果を挙げる日本の中堅・中小企業は増えていると語り、いくつかの事例を示してくれました。
事例の一つは、京都宇治市に本拠を構える従業員約130名のアルミ部品試作メーカー、HILTOP社の例です。同社は、経営トップが掲げた「製造のソフトウェア化」というDX戦略に業務の現場やIT担当者が一致協力して取り組み、工場の全自動化を成し遂げました。
「工場の全自動化により、同社の製造業務は工場での手作業から、オフィスや自宅でのプログラミングへと変容し、結果として、会社のあり方も労働集約型の企業から、知識集約型の企業へと一変しました。この転換によって従業員のモチベーションは高まり、新たな人材採用にも弾みがついています。しかも、年間3000~4000個の加工品を生産しながら、3日~5日の短納期を実現し、本業の価値も高めています」(青山教授)
愛知県にある年商150億円規模の自動車部品メーカーであり、月に1000万個のエンジン部品を製造する旭鉄工では、製造工程のリアルタイムデータ分析によるDXに取り組んでいます。同社では、既存の生産設備には何も手を加えずに、Raspberry Piとカメラを組み合わせた低コストのIoTセンサーを自作し、重点生産ラインのデータを取得することからDXの取り組みを始動させました。その取り組みは、数年をかけて多ラインから収集したデータのリアルタイム分析へと発展し、のちにAI(人工知能)を活用したビッグデータのリアルタイム分析へとステップアップ。現在は、その知見に基づく技術サービスを200社以上に提供するビジネスへと発展しています。
青山教授によれば、こうしたDX推進の成功例には基本戦略に「3つの共通性」があるといいます。
まず、組織戦略として経営者と業務部門、IT/デジタル部門が三位一体でDXを推進していること。次に、事業戦略として、既存事業の業績を上げて技術負債(老朽化したシステムがもたらす負債)を軽減しながら、新事業を創出していく「両利きのDX推進」を行っていること。最後に、推進戦略として重点部門から段階的にDXを推進していく戦略をとっていることです(図)。
「これはつまり、事業リスクの低減と事業価値増大のバランスを巧みにとりながら、DXを推進していくという経営の舵取りを意味しています」と、青山教授は付け加えます。
変革は「自分たちは何を作るべきか」の自問から
もちろん、上述したような企業が中堅・中小企業の多数派ではありません。青山教授が2年前に「DXレポート ~ITシステム『2025年の崖』克服とDXの本格的な展開~」(2018年9月発表)の中で指摘(*2)したように、老朽化したIT設備(=レガシーシステム)や現行業務を支えるシステムの維持にITのコストと労力の多くを取られ、DX実現の一歩が踏み出せないでいる中堅・中小企業も多いといえます。
そうした現状を打開するには、企業の経営者が考え方を変え、発想を転換し、企業文化そのものを変えていくことが大切であると、青山教授は改めて強調します。
「DXは単にシステムを入れ替えれば済む問題ではありません。それよりも大切なのは、企業の経営者が明確なビジョンを掲げて、個々の社員、ひいては組織全体のマインドセットを切り替えることです。それには相当のエネルギーが必要ですが、それを行わないとデータとデジタルテクノロジーによって会社を変えること──つまりは、DXの実現は難しいと私は考えます」
では、中堅・中小企業の経営層が、DXのビジョンを打ち出すうえで必要な視点とは何なのでしょうか。この問いかけに、青山教授はこう答えます。
「たとえば、製造企業の経営層であれば、“自分たちはそもそも何を作るべきか”という視点を持つことが大切だと私は考えます。日本の製造企業の多くは、モノを生産する能力をギリギリまで高めていますが、これからの時代、これまでと同じモノを作っていても大きな成長・発展が望めません。原点に立ち返り、“自分たちの技術を生かせばどんな製品が作れるのか”、“それはどんな事業に発展する可能性があるのか”を徹底的に追求してみることです。そこから、新しい付加価値を創出するアイデアが生まれてくると思います」
たとえば今、自動車産業は100年に一度の大変革期を迎えています。コネクテッド(Connected)・自動運転(Autonomous)・シェアリング(Sharing)・電動化(Electrification)の頭文字から成る「CASE」のキーワードの下、自動車メーカー各社は、自動車という“モノ”を作る会社から、移動を軸とした新しいサービスと“コト”を創り、提供する会社への転換を図っています。
「そうした産業の転換点を見逃さず、うまく波に乗れたなら、企業は成長・発展します。そのチャンスは企業の規模とは関係ありません。組織全体の方向転換が図りやすい中堅・中小企業のほうにより大きなチャンスがあるといえます」(青山教授)
加えて、今般のコロナ禍が長期化し、人と人との接触が長く制限される中で、働き方やビジネスの進め方が新常態(ニューノーマル)へと向かわざるをえなくなり、結果として、業務のデジタル化が急務となっています。言い換えれば、半ば強制的とはいえ、中堅・中小企業のDXに向けた下地はすでにできつつあるのです。
*2 「2025年の崖」の指摘:DXの国際競争に乗り遅れ、2025年以降、年間最大12兆円規模の経済的損失が生まれる可能性があるとの指摘。
●青山 幹雄(あおやま みきお)氏プロフィール
青山 幹雄(あおやま みきお)
南山大学理工学部ソフトウェア工学科教授。工学博士。イリノイ大学客員研究員、新潟工科大学情報電子工学科教授、南山大学数理情報学部情報通信学科教授を経て現職。2018年経済産業省「デジタルトランスフォーメーションに向けた研究会」座長、2020年経済産業省「デジタルトランスフォーメーションの加速に向けた研究会」座長。
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