実の親が子どもを育てられない事情があるとき、親権を移すことなく、子どもを一時的に預かって育てる「養育里親」という制度がある。児童養護施設での集団生活よりも子どもの成育過程で重要な愛着形成がしやすいと期待され、厚生労働省が推進している制度だ。
NTTコミュニケーションズ株式会社(以下、NTT Com)にも、この制度に手を挙げて、実際に幼い里子と暮らしている人がいる。第五ビジネスソリューション部の安斎長人さん。里子を迎えての新しい日々のこと、決断をサポートした社内研修について語ってもらった。
呼び名は「あんちゃん」、幸せいっぱいの里親ライフ
安斎さんが里親になったのは昨年8月。3歳半の女の子を、夫婦2人の家庭に里子として迎えた。朝は幼稚園バスまで見送り、夕方は安斎さんが園まで迎えに行く。もともと安斎さんはフレックスタイム制により7時から15時半の勤務時間。お迎えから子どもが寝るまでは、家族3人の時間になる。
「楽しかったことを具体的に挙げるのが難しいぐらい、毎日が楽しい」と安斎さんは言う。
「毎日たくさん遊びます。ごっこ遊びがお気に入りで、子どもがレストランやショップの店員さんになって、私がお客さんになって。とにかく一生懸命遊ぶので、最初はびっくりしました。眠りに落ちる寸前まで遊ぶんですよ。妻が背中をトントンして、子どもはうつらうつらしてきて、でもその手はぬいぐるみを触っています(笑)」
安斎さんたちは里子から「ママパパ」や「お母さんお父さん」ではなく、ニックネームで呼ばれている。実親と子どもとの関係を尊重してそう決めた。安斎さんは「あんざい」だから「あんちゃん」。「あんちゃん大好き!」と言われると、何でもできる気になる。子どもの寝顔を見るとき、体温を感じるとき、「一緒に生きている」という実感で胸がいっぱいになる。
「全てにおいて子どもが優先の生活に変わりました。海外へ出かけたりおいしいものを食べたりするのが好きでしたが、今はハンバーグ率が高いです(笑)。家族3人での沖縄旅行もすごく楽しかった。海で遊ぶとか、そんなたわいないことでも、こんな素晴らしいことが叶ったのかと思います」
「試し行動」に「再統合」、里子ならではの悩みも
もちろん、里子を育てる生活は、楽しいことばかりではない。子どもが大人にわざとワガママを言ったり、困らせる行動で反応を見たりする「試し行動」に、いつまで応えるべきなのか。また、児童相談所の方針に沿って、いずれは里子を実親の元に帰す「再統合」をめざすことで合意しているが、それは本当に子どものためになるのか。悩みは尽きない。
「どんなに幼くても生活習慣のようなものはあって、それを持ったまま里親のところに来ます。夜更かしする、歯を磨きたがらない、食べ物の好き嫌いが激しいというような。それを無理に矯正すると、実親との思い出を壊すことにもなる。試し行動でしていることもあるので、単純に叱ればいいという話ではないんです」
試し行動への対処は里親会でも話し合っているという。「歯を磨く」「21時に寝る」など目標を決めて、それができた日はカレンダーにシールを貼るといった手法を、安斎さんも取り入れている。
キャリアも子どものいる人生も「諦めなくていい」と知った
安斎さんは、里子との幸せな生活が叶っていることについて、会社にも感謝の気持ちが大きいという。職場では昨秋、同僚たちに話を聞いてもらった。
「里親制度がタブーのように扱われるのは違うと思っていたので、ミーティングの終わりに時間を取ってもらって、里親になったことを話しました。皆さんやっぱり驚いたと思います。それでも、子ども服を譲ってくれたり、キャンプに一緒に行ってサポートしてくれたり、いろいろ応援してくれる人がいて。本当にありがたいと思っています」
そもそも、里親になるという選択肢を持つようになったのは、会社の研修がきっかけの一つだった。ヒューマンリソース部(以下、HR)で、社内キャリアコンサルタントの浅井公一さんが企画した「キャリアデザイン研修」だ。*
*キャリアデザイン研修については、記事の最後でご紹介しています。
「会社員である程度の年齢になってくると、これでもう自分は頭打ちなのかな、と諦めに入ってしまうかもしれません。でも、面談で浅井さんは『諦めなくていい』と言ってくださった。自分がキャリアや人生をどうしたいか、そのために何をしたらいいと思うか、どんどん引き出してもらったおかげで、考えと行動を変えられました。具体的には、TOEICの勉強や受験を始めたり、見聞を広げようとアフリカや東欧に旅行したり。
2018年1月に研修を受けて、以降はメールをやりとりしたり、3カ月に1回は面談をしてもらったりして、私生活のことも相談するようになり、里子を迎える決心がつきました。2019年のことです。そのおかげで今の、自分でも驚くほどさまざまな感情が湧き起こる、大変だけど面白い暮らしが始まっています」
「血のつながらない家族もいることを知ってほしい」
最後に、安斎さんからこの記事を読む皆さんへ、ぜひ伝えたいことを語ってもらった。
「養育里親制度ってなんだか“人に話してはいけない”“暗い”ものだと思われているかもしれません。でも、決してそうではありません。悩み事もありますが、私は毎日楽しくて、幸せです。
だから、子どもが既にいる人も、いない人も、制度を検討してみてもらえたらいいなと思います。愛着形成のためには施設よりファミリーホームや里親が良いとされながらも、里親が足りていないのがこの国の実情なので、里親になれる人が名乗りを上げれば、救われる子どもは確実にいます。
もちろん、里親になることを選ばない人がいてもいい。当然です。それでも、私たちが知ったように皆さんも、家族にはいろんな形があることを知ってほしいと思います。血のつながらない家族も家族です。そういう人たちがすぐ隣で生きていることを知ってもらうだけで、行動はおのずと変わる。差別や偏見がなくなったり、軽減されたりすると信じています」
キャリアデザイン研修とは
ベテラン社員を対象とした研修で、2014年に「50歳の節目研修」として始まった。現在は「キャリアデザイン研修」と名前を変え、創始者であるHRの浅井公一さん、キャリアデザイン室が企画・運営に携わっている。
集合研修と個別面談を組み合わせて行うのが特徴で、まずは集合研修で、自身のキャリアやライフプランをどう考えればいいかを学ぶ。この研修で上映されるドラマは、社会の変化や社内の人事制度の変革などを踏まえたオリジナルで、毎年新しいものを制作しているそうだ。
「個別面談は、集合研修から1カ月以上空けて行います。『キャリアビジョン』とそれに基づいて『始めること』『始める時期』をシートに具体的に書き込んだ上で、自分の言葉で語ってもらいます。面談は60分までですが、1回でコミットできない場合は再面談を行い、合計10時間以上の面談をした人もいるんですよ」(浅井さん・以下同)
「始める」期日を約束するのは特徴的だ。その日から約3カ月後に、本人にチャットや電話などで連絡し、取り組みを開始したかどうか確認する。合わせて上司にも、実際に変化があったかを確認して、必ず結果を追跡するようにしている。
「ミドルシニアの方々に生き生きと働いて自己実現してもらう。それを通じて会社の生産性を高める。この2つが研修の目的です。NTT Comの社員は、モチベーションは決して低くないので、それをパフォーマンス向上にどう結び付けるかが大事だと考え、具体的な行動変容を促す研修内容としました」
制度開始から10年、研修を受けた人の約75%が周りから「彼/彼女は(良い方向に)変わった」という評価を得た。また、メンタルヘルスの不調が発生する割合が、研修を受けた人は受けない人の10分の1以下だという。さらに業績評価、会社への貢献度も相対的にワンランク程度アップしている。
「各人がコミットする内容はさまざまで、『朝、出社したらチームのメンバーにあいさつをする』とした人もいました。そんなこと、と思われるかもしれませんが、シーンと静まった職場で自分から声を掛けるのは案外難しい。3カ月後、その人の上司が『おかげでチームの雰囲気が一変した』と話してくれました。たとえ小さなことでも、具体的な行動変容は組織にいい影響を与えるものだと思います」