他者の目や評価を気にする若者のメンタル不調が増えている
まずは、産業医として数多くの企業を見ている堤氏に、産業界におけるメンタルヘルスの現状について伺いました。堤氏はとくに今、若手社員によるメンタルヘルス不調の増加が顕著であると指摘します。
「私見ですが、現在の若者は自意識が高い人、他者の評価を過剰に気にする人が多いように思います。そのため、こんなことを聞いたら無能だと思われるのではないかと考えてしまい、わからないことを聞けない、周りと比較して自分はもっと頑張らないといけない、自分はもっとできるはずだと思ってしまう。その結果、自ら精神的に追い詰められる人が多いように感じます」
さらに近年、SNSによって他者の充実した生活を目にする機会が増えたこと。社会や会社が、個人のビジョンやパーパスといったものを強く要求するようになってきたことも影響しているようです。
「社会に出たばかりの22、23歳くらいの若い方は、確たるビジョンやパーパスなど持っていなくても不思議ではありません。多くの若者が現状と要求のギャップに苦しめられています。そんな若手が誰にも相談できず、弱音も吐けない。その結果、ストレスや不安を溜めて倒れてしまうケースが多いのです」
プレッシャーや責任が大きい管理職やシニア層のメンタル不調も増加している
堤氏によれば、若手社員に続きメンタル不調が多いのが、中途採用の転職組です。今は人材の流動性が上がったこともあり、即戦力としての期待に応えなくてはならないという重圧がかかっていると言います。
「働く人のストレスは、業務そのもの、人間関係、評価制度や仕事のやり方、社風といった4つからなります。転職をすると、この4つがすべて変化して大きなストレスにつながります。そのうえで即戦力としての期待も加わるわけですから、メンタル面での負荷は非常に大きいでしょう」
今は働き方改革が推進され、長時間労働やブラックな職場環境は改善されてきていますが、逆にそのしわ寄せが、管理職層にのしかかっていると堤氏は言います。
「部下に長時間労働をさせられないので、管理職が夜中まで仕事をするケースが増えています。また、今は専門性が細分化され、求められるスキルの変化も早くなることで、マネジメント層の負担も大きくなっています。メンタルヘルスの不調をきたす管理職が増えているのは全く不思議ではありません」
中高年のベテラン社員なども、組織改革や役職、職種の変化、仕事の重圧、部下の不祥事などから、急なメンタル不調に陥るケースがあると言います。
メンタル不調の予兆を早く見つけ、早く適切に対応することが大事
ではメンタルヘルスの不調によって引き起こされる疾患には、どのようなものがあるのでしょうか。堤氏はその代表として、うつ病と適応障害を挙げます。
「よくこの2つの違いを説明するのですが、まず適応障害は直面しているストレスに心と体がついていけていない状態。症状は不眠や気持ちの落ち込み、食欲不振、理由もなく涙が出るなど、ほぼうつ病と同じ。うつ病と診断されるには一定の診断基準を満たす必要がありますが、適応障害はその基準を満たす一歩手前の段階です。適応障害はうつ病と違い、ストレスから解放されれば、すぐに元気になる場合もあります」
うつ病も適応障害も、治療の方向性は同じです。ストレスを軽減し、仕事を休む。そのうえで必要に応じ、抗うつ剤や睡眠薬などを使います。いずれにしろ早めに予兆を見つけ、早い段階で適切な対応をし、重症化させないことが大切です。
「メンタル不調の予兆として、確実に手を打たなくてはならない指標が4つあります。①勤怠の乱れ、②作業中に注意散漫になっていたり、居眠り運転したりしてその人の安全性が担保できないとき、③パフォーマンスの低下、④イライラしていたり、怒りやすくなったりして周囲に悪影響を与えている場合です。これらのうち1つでも看過できない状態であれば、即座に産業医や社労士などの専門家に相談すべきです。
この4つの指標を見過ごし、仮に社員の身に何かあった場合、その企業は安全配慮義務を履行していなかったと判断され、裁判などで不利になりかねません。」
堤氏は、トラブルを避けるために、社員がメンタル不調で働けなくなったときの休職期間も事前に定めておくべきだと指摘します。
「社労士などと相談し、社員がメンタル不調で働けなくなった場合の対応フローをつくり、休職期間を含めた休職規定を定めておくことが大事です。休職中は誰もが不安になるので、復職までのサポート体制を整備し、フォローする必要もあります」
メンタル不調を起こさない理想の職場環境を築くポイントとは
先ほど堤氏が挙げた4つの指標は、あくまで危険信号を見逃さないためのもの。できればその手前で、社員のメンタル不調に気づくことがベストです。そのためには、どのようなことに気をつければよいのでしょうか。
「元気がない。服装が乱れている。髭を剃っていない。これらは誰もが想像できると思いますが、意外とポイントになるのが、問いかけに対するレスポンスが普段より遅くなることです。いつもメールを即時返してくれる人の返事が1〜2日遅れたり、返信がなかったりする。
真夜中など変な時間に返信してくる。仕事量は増えていないのに残業が増えている。あいさつや雑談が減ってきた。これらは定点観測することができ、わかりやすい指標です」
一人で判断するのが難しい場合は、自分と似たポジションの人と判断するといいそうです。例えば、部長と課長の二人で、メンバーのレスポンスが遅くなっていないかどうか相談する。二人がともに遅いと感じていたら、メンタル不調の予兆と言えるかもしれません。
「一番理想的なのは、社員一人ひとりが自分で自分の状態を把握できるようにすることです。例えば、食欲がなくなったり、眠れなくなったり、好きなことや興味があることができなくなったり、仕事に関わる思考力が働かなくなったり。そのような状態になったら早めに相談するよう伝え、相談の受け皿をつくっておくと良いでしょう」
そもそも、メンタルヘルス不調を起こさないためにもっとも重要なのが、職場環境の改善。ストレスのない快適な労動環境で、人間関係も良好なら、メンタル不調になる人はほとんどいないと堤氏は言います。
「部下が上司になんでも相談できる信頼関係を築くために、社内コミュニケーションの量を増やし、質を高めることも大事です。社員のストレス耐性を高め、上手に対処するための研修を行うことも有効でしょう。若手の時からストレスの対処法を知っていれば、その人が上司になったときも部下のケアをきちんと行うことができます」
中小企業が万全のメンタルヘルス対策を行うためのアドバイス
いずれにしろ今の時代、企業がメンタルヘルスケアを行うことは、生産性低下や労災を防ぎ、離職を減らすうえで大きなメリットがあります。対策の徹底は社員のエンゲージメントを高め、やる気を引き出し、業績向上にもつながります。
「社員のメンタルヘルスが安定すると、生産性が上がり、残業も減るので、結果的に経営状態もよくなるでしょう。逆にメンタル不調の多い職場では、貴重な人材を失い、新たな人材も雇いにくくなります。とくに今は労務関係でトラブルを起こすとSNSなどで社内外に噂が広がり、信用問題に関わってくるので注意が必要です」
そのような状況もあってか現在、厚生労働省の調査(※)では、企業の6割がメンタルヘルスケアをおこなっていると言います。しかし、実効性をともなう対策をおこなっているところは、大企業においても非常に少ないと堤氏は指摘します。
(※)厚生労働省/令和2年「労働安全衛生調査(実態調査)」の概況
「産業医やカウンセラーを置き、相談窓口を設けても、利用されていないケースがあります。どんなに仕組みや制度が整っていても、それを利用しづらい雰囲気があっては意味がありません。相談窓口をつくるときは、どんなときに相談しにいくべきか、その基準を社員にきちんと示し、徹底させる必要があります」
以上、企業が取り組むべきメンタルヘルスケアを紹介してきましたが、リソースの少ない中小企業は、最初から万全の体制を整えるのは難しいでしょう。そんな中小企業はどこから手をつければいいのか。最後にアドバイスをいただきました。
「まずは、大きなトラブルを起こさないことが重要なので、最低限、休職規定は定めていただき、いざという時に頼れる専門家に相談できる体制を整えておくことをおすすめします。メンタルヘルス対策に関するセミナーなどに参加し、登壇者や参加者と個人的なつながりをもっておくのもよいでしょう。労務担当者のコミュニティーに参加し、日頃から情報を入手しておくことも有益です。
そのうえで、まずは管理職に対する教育から始め、次に管理職やメンバーが困ったときに相談できる窓口を設ける、といった手順がおすすめです。今はメンタルヘルス対策を導入するための補助金や助成制度も充実しています。専門家の知恵も上手に活用しながら、ぜひ実効性あるメンタルヘルス対策に取り組んでいただきたいと思います」
※本記事は2023年1月に行った取材をもとに構成されています。