武田信玄に学ぶ!
「カリスマ経営者の事業継承の難しさ」

武田信玄に学ぶ!「カリスマ経営者の事業継承の難しさ」

西川 修一(ライター・編集者)歴史に名を馳せた武将、時代を動かした英傑たち。そんな歴史的リーダーたちのビジネススキルや組織運営を学ぶ連載です!

目次

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識者 伊東潤さん
今回の歴史的リーダー武田信玄はどんな人?

武田信玄(1521~73)は甲斐国(現山梨県)を中心にして広大な版図を築いた戦国大名です。信玄は新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の嫡流で、武田氏の第19代当主にあたり、甲斐国統一後は信濃国に進出、越後国の上杉謙信と死闘を繰り広げながら領国を拡大していきました。その方針は拡大路線一筋で、守勢に回ることはありませんでした。

武田軍団は「戦国最強」と称されるほどの強勢を誇り、また信玄は領国統治にも優れ、「信玄堤」で知られる水害対策や干拓事業・新田開発といった大型事業は、今も現地にその名残があります。

信玄はその晩年、病を押して西方に遠征し、その途上で徳川家康軍を一蹴しましたが(三方ケ原の戦い)、織田信長と対決する前に陣没しました。享年は53でした。

カリスマは替えが利かない

武田信玄は軍略の天才とうたわれる武将です。しかし、残念ながら事業継承については、うまくいきませんでした。

信玄にとって大きかったのは、嫡男の義信と対立し、最後は死に追いやらざるを得なかったことです。そして本来は後継者にするつもりのなかった四男の勝頼を後継者に据えざるを得ず、それが原因で家臣団との軋轢が生まれたということです。

その原因は何だったのでしょう。

一つには、信玄と義信の間の年齢差が16~17歳と近かったことが挙げられます。川中島での謙信との戦いでも活躍した義信でしたが、信玄とは外交方針を巡って対立することが多かったのも事実です。互いに年齢が近いだけに、簡単には承服できないこともあったのかもしれません。これは家康と長男の信康の関係にも似ています。信玄も家康も、それぞれの長男を葬らざるを得ませんでした。

ここから学べることは、企業でも権力を握っていた社長が会長に退く際は、年齢の近い人を後継者に据えるのではなく、何世代か飛ばしても若い人を社長に据えるべきだということです。

信玄の後継者問題は、長男の造反、次男の失明、三男の早世という不幸が重なり、諏訪家を継がせていた勝頼を連れ戻さざるを得なかったわけですが、運がなかっただけではありません。

信玄は家臣団に絶対的な信頼感を植えつけるため、自らを意識的にカリスマにしていきました。すなわち信玄はセルフプロデュースによって、家中の者たちが自分を神のように崇めるように仕向けたのです。つまり信玄は、自分にしか操縦できないコックピットを作ってしまったのです。

これはその一代限りなら有効な手ですが、後継者はたまったものではありません。

後継者が信玄だけが操縦できるコックピットに座らされても、装置類(宿老や家臣)は思うように動いてくれません。後継者はカリスマではないので当然のことです。

このコックピットを想像してみてください。神である信玄を中心に、宿老という敬虔な信者たちが配置されている、いわば曼陀羅のような宗教的図式です。この方法は一代限りで有効な仕組みです。

後継者がその座に就いても、宿老たちは神とは見なしませんから、以前と同水準のパフォーマンスは期待できないのです。

北条氏から学ぶ評定制度

こうした統治体制の長所と短所を、信玄が自覚していたかどうかはわかりませんが、気づいていた人たちがいます。甲斐国に隣接する相模国の北条氏です。北条氏は当主を神やカリスマに仕立て上げることはせず、評定制度という信玄とは正反対の仕組みを編み出しました。

双方の仕組みは、どちらがよいとは一概にいえないトレードオフの関係にあります。

評定制度は、多数決で決める民主主義的な会議とは少し違いますが、評定・評議による意思決定は、スピーディな信玄方式に比べると、どうしても遅くなります。

現に当の北条氏は、議論ばかりで何も決められぬうちに秀吉軍に攻め込まれた「小田原評定」という不名誉なエピソードの持ち主です。実態は少し違うのですが、そうした言葉が残るほど評定制度は有名だったのです。

その半面、評定制度と評定衆は、当主が代わっても同じように機能するので、混乱が少なく、代替わりの時もスムーズに行われ、安定した領国経営が行われるというメリットがあります。

またその裏返しで、隣国に武田家のような侵略国家がある場合、攻め込まれても即応態勢が取れず、積極策に打って出ることなく、どんどん押し込まれていくというリスクを常に抱えています。これは上杉謙信、武田信玄、豊臣秀吉の3人に小田原城を囲まれたことでも分かります。要は衆議に諮るということは、消極策に傾くきらいがあり、「籠城策」を取らざるを得なくなるのです。

同じ戦国大名でも武田氏と北条氏は、統治思想から統治体制までまったく異なる方法論を持っていたのです。

これは現代企業にも言えることで、同じような業種でも企業文化の違いから、業績に差が出てしまうことがあります。業界全体が拡大している時は武田型が、業界が停滞ないしは縮小している時は北条型の経営思想や統治体制が有効というわけです。

企業としての存続を最優先に考えるなら、創業者や初代のトップを神のように崇めさせるのは好ましくありません。

成功した人は自分を過大評価しがちです。自分を絶対的な存在とし、後継者と目した者でさえ下に見るような態度を取る経営者は少なくありません。こうした態度は、次の世代を見据えていないと言えます。

いかに創業者であろうと、企業は持続可能とすべきものであり、自己満足の道具ではありません。

後継者は無理に若返りを求めなくてもいい

信玄の跡を継いだ四男・勝頼は、そもそも武田家ではなくその支配下にあった諏訪家を継ぐ予定でしたから、宿老たちから「諏訪四郎」と呼ばれ、「我々と同格」と思われていました。実際に「勝頼が跡取りになるのには承服できない」と信玄に伝えた家臣もいます。

信玄の遺書で後継者について書かれていたのは(厳密に言えば意味は定かではありませんが)「実の息子だからひとまず勝頼に継がせるが、正統な嫡男は勝頼の息子・信勝であって、勝頼は信勝が長じてその座に就くまでの一時的な陣代(後見役)だ」という内容だったとされ、これが後々まで勝頼を苦しめることになります。

近年、「実は勝頼は有能だった」とも言われていますが、果たしてそうでしょうか。私は勝頼を日本一の侍大将だと思います。攻勢に出る時の勝頼の強さは比類なきもので、侍大将なら最も優秀な部類です。しかし軍人として優秀であっても、大名や統治者として優秀とは限りません。

これは、営業として素晴らしい実績を上げた人を社長に据えても、必ずしも経営がうまくいくとは限らないことにも通じます。

後継者は早くに確定しすぎず複数の候補者を

早世した義信は、子どもの頃から信玄が近くに置き、手塩にかけて育ててきましたが、勝頼は早い時期から諏訪家の跡を継いでいたので、信玄の謦咳に接する機会はまれでした。つまり英才教育を受けていないのです。

それゆえ侵略型大名というリスクと隣り合わせの中で勝ってきた武田家を、勝頼はうまく切り回すことができませんでした。

しかし子どもの頃から信玄の謦咳に接し、徹底的に鍛えられてきた真田昌幸などは、後々まで名将として名を残します。

それだけ教育とは大切なのです。ですから差別と思われても構わないので、「これは」と見込んだ若手は、早いうちから海外に派遣するなどしてエリート教育を施していくことが大切です。

また忘れてはならないのが古参家臣の扱いです。

勝頼の失敗は、子どもの頃から苦楽を共にしてきた者たちを自らの側近とし、信玄を支えてきた宿老たちをないがしろにしたことでした。

若い頃から一緒に苦労してきた同世代のスタッフを引き上げたいという気持ちも分からないではないですが、父親の時代に活躍してきた番頭のような立場の家臣たちをいきなり排除すると、組織はやはりおかしくなります。

武田家の場合は、信玄時代の宿老の多くが長篠で討ち死にしましたが、結局、その後の勝頼の側近たちが主体の体制では、滅亡の道を歩むしかありませんでした。

どんな組織でも、初代が急逝していきなりその座を継いだ2代目は、従来の体制を温存しつつ、組織全体をゆっくりと代替わりしていくことが大切です。

臨済宗妙心寺派。1330(元徳2)年、現地の地頭職が夢窓国師を招いて創建。武田信玄の菩提寺で、1576(天正4)年、勝頼が信玄と親交のあった快川和尚の導師のもと盛大な葬儀を行った。
臨済宗妙心寺派。1330(元徳2)年、現地の地頭職が夢窓国師を招いて創建。武田信玄の菩提寺で、1576(天正4)年、勝頼が信玄と親交のあった快川和尚の導師のもと盛大な葬儀を行った。

1582(天正10)年の武田氏滅亡の折は織田信長の焼き討ちにあい、その際に「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱えた快川和尚を始め100人以上の僧侶とともに全焼。その後、徳川家康により復興された。5代将軍綱吉の時代にここを庇護した甲斐国主・柳沢吉保の菩提寺でもある。

本堂裏の庭園は夢窓国師の作庭で、国指定の名勝。国指定の重要文化財である恵林寺四脚門、銘来国長(太刀)、銘備州長船倫光(短刀)のほか孫子の旗、兜、軍配など武田氏関連の文化財多数。春は桜、秋は紅葉が見もの。

この記事はドコモビジネスとNewsPicksが共同で運営するメディアサービスNewsPicks +dより転載しております 。
取材・文:西川修一
編集:岩辺みどり
バナーデザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)
イラスト:榊原 美土里

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