2021年の東京五輪、選手村のベッドにアスリートがダイブをしたり、乗り切れないほどの人数のアスリートたちがベッドの上で飛びはねる動画がSNSで世界に拡散されました。
選手村のベッドフレームが段ボールで作られているのは、アスリート同士が親密になるのを防ぐ“anti-sex”ベッドだからなのでは、という臆測が話題を呼び、実際にどれだけの耐久性があるのかを試すアスリートたちの様子を写したものでした。
思わぬ形で世界中から注目を集める結果になったエアウィーヴですが、同社代表取締役会長兼社長、 高岡本州は、2008年の北京オリンピックの頃から、選手村で自社のマットレスが採用されること、そして最高のパフォーマンスを目指す一流の人たちが愛用する寝具メーカーを目指すことが、自社の進むべき道と確信していました。
その優れたビジネスセンスは、スタンフォード大学大学院への留学経験、その後父親が創業した「日本高圧電気株式会社」の代表取締役社長を引き継ぎ、度重なる事業の浮き沈みを乗り越えてきた経験から培われたものでしょう。
寝具メーカーへ事業転換を決意させた
ふたつのきっかけ
エアウィーヴの前身「株式会社中部化学機械製作所」(愛知県幸田町)は、高岡社長の伯父が社長を務めていた、釣り糸を作る押出成形機械を製造する会社でした。
高岡社長がこの会社の経営を引き継いだのは、2004年、日本高圧電気の2代目社長に就任してから、7年目のこと。ある日突然、父親から「中部化学を引き取ってくれ」と依頼されたといいます。
中部化学機械製作所の赤字は当時数億円。その上、アジア各国のメーカーが競争力を高めていた頃で、事業は先細りする一方でした。見通しは暗く、事業を畳むことも考えました。それでもなんとか踏みとどまろうと決意した背景には、家族という、切ってもきれない縁がありました。
「親父から中部化学を引き取るように言われた時には、借金だらけの会社をなぜ自分が?と正直思いました。ただ、日本高圧電気の創業時には、伯父からの出資にも助けられました。そうやって助け合ってきた家族ですから、窮地を救う力のある者がいるのなら、助けるのが当然なんです。私の最初のミッションは、伯父の会社を潰さないことでした」
そんな高岡社長に、「寝具を作る」というひらめきを与えたきっかけはふたつあったといいます。ひとつめは、自身が長年抱えていた睡眠への悩み。ふたつめは約10年前に目の当たりにした、ある寝具メーカーの戦略転換でした。
高岡社長は、20代の頃に交通事故でむち打ち症を患い、肩や首のこりに悩まされていた。それをかばうように使用していたのが、低反発のウレタン素材の枕でした。押し返す力が弱く、体重をかけると反発せずにそのまま沈む枕は、肩や首を固定して重さを感じなくさせます。
一方、低反発だと寝返りが打ちにくく、寝ても疲れが取れにくいことに長年不満を感じていました。それならば、「まだどこの企業も製造していない、体をしっかり支える高反発のクッション材を使って寝具を作ってみたらどうだろう」と考えました。
中部化学機械製作所には、極細繊維を空気を編むように絡み合わせたクッション材を作る技術が既にありました。
高岡社長は、大学で物理を学び、反発力に関する力学的な知見もあったため、自社の高反発なクッション材はウレタン素材より寝返りしやすいはず、と自信がありました。一方、「枕はデザインも様々で販売するメーカーも多い。古くから大手メーカーの独壇場だったマットレスのような大きな寝具を売るほうがビジネスになる」という考えもありました。
「自身が抱えていた眠りに対する悩みだけでは、自社で寝具を作る発想にはたどり着けなかったと思います。寝具を作ることをひらめいた、ふたつめのきっかけは、中部化学機械製作所を引き継ぐ10年以上前にさかのぼります。その時、ある寝具メーカーが枕を作っていた。そこが途中から、マットレスを作り出したんです。あ、この会社、勝負に出たな、と思ったと同時に、反発素材は寝返りが打ちにくく体の動きが固定され、ベッドマットレスには適さないと感じた記憶もヒントになりました」
当初は、寝具メーカーに事業転換をするつもりはありませんでした。中部化学機械製作所の技術を生かし、マットレスの素材を売るBtoBビジネスとして、寝具メーカーを中心に営業に回っていました。しかし、そこでは期待通りの結果を得ることができませんでした。
それは、商談相手がエンジニアばかりで、「寝具の素材なんて、何でもいい」とクッション材には興味を示さなかったからだといいます。高岡社長にとっては想定外の反応でした。
「これが日本のメーカーによく見られる、自社の技術やアイデアに強くこだわり、外部のものを受け入れようとしないNIH(Not Invented Here)症候群です。他社製品を上手に取り入れながら商品を作り、その上に強力なブランドをつけて世界的なイノベーションを起こしたのが、アップルです。同じような戦略をとっている日本企業は、なかなか少ないんです」
寝具メーカーに売りに行っても、優れた新技術を理解できないのであれば、自分たちが寝具メーカーになればいい。
2006年に決断、翌年からマットレスパッドの販売をスタートさせました。寝具メーカー「エアウィーヴ」はこうして誕生したのです。
最初の1、2年は工場への再投資や認知度拡大へのPR活動などで、黒字化しないことにも周囲からの理解がありました。ただ、それが3年経った頃、毎年約1億円の赤字を出す結果に、経営者であり日本高圧電気の会長である父親からこう言われました。「3年間も赤字を出し続けて、いったい何やってんだ?」
「親父の兄貴の会社だろう! こっちは頼まれたから引き受けたんだ、と腹は立ちましたよ。しかし振り返れば、引き継いだ当初からその時に至るまで、日本高圧電気の役員たちが、中部化学機械製作所への投資について、大分味方をしてくれていました。私が98年に社長になってから続いてきた信頼関係もあるので、その場に私がいなくても社長が一生懸命やっている事業だからもう一回ぐらいなんとかしましょうよ、と言ってくれていたと思います」
ただ、役員たちが信頼していたのは、高岡社長自身であり、寝具事業に対して信頼を寄せていたわけではありませんでした。
この関係性が、今後事業を発展させていく上でブレーキになりかねないと感じた高岡社長は、日本高圧電気から中部化学機械製作所の株式を全て買い取ることで自らが株主になり、事業戦略を自由に行える環境を作ったのです。
エアウィーヴを高く評価したユーザーたちの共通点
店頭で、低反発のウレタン素材のマットレスと、エアウィーヴのような高反発のマットレスに腰掛けたり、横たわったりしてその感覚を比べてみると、ゆっくりと体が沈む低反発のウレタン素材のほうがしっくりくるという感想を抱く人も多いだろう。
寝具選びの難しさは、一晩寝てみないと体にフィットしているのか判断することができない点にあります。
高岡社長はまず、知人、友人200人に無料でマットレスを配り、一晩寝てみた感想を求めました。
結果として、全員からの評判が良かったわけではありません。ただ、疲労回復や、コンディションづくりへの意識が高く日ごろ身体を動かしている人からは、翌日すぐ良い評価をもらいました。そこからエアウィーヴが進むべき道が開けたのです。
「身体の変化に敏感なアスリート、中でもオリンピックに向けて練習を重ね、4年に1度の競技当日に最大の結果を出すためにピークコントロールを行う五輪の選手たちは、睡眠環境に徹底的にこだわります。彼ら、彼女たちが指名するような寝具メーカーを目指すことが、自社にとっての進むべき道だと確信したんです」
オリンピック選手に選ばれる寝具メーカーになるべく、高岡社長自らもエアウィーヴを抱え、関係者の元を訪ねる地道な営業活動を続けました。
それが功を奏し、2008年の北京オリンピックでは、水泳、陸上の選手計約70人が現地にエアウィーヴを持ち込み、選手村で使用される寝具としてのブランドが浸透し始めました。こうして、エアウィーヴとオリンピック選手やアスリート関係者たちとの切っても切れない関係が築かれていったのです。
伯父から引き取った赤字だらけの押出成型機メーカーから、寝具メーカーへ本業転換した時のことを、高岡社長は、自分の意思(will)だけでは実現することはできなかったと振り返ります。
「これから本業転換を考えている経営者の方にとっては残念な事実かもしれませんが、本業転換の成功には、きっかけや運は絶対に必要です。私は、自らの意思(will)だけでは事業を軌道に乗せることはできませんでした。
もし20代で交通事故に遭って眠りへの悩みがなければ、スタンフォード大学大学院へ留学し、ビジネスを冷静に見る見方を身につけていなければ、さらに、伯父の会社を自分が救うしかない危うい状況を目の当たりにしなければ、今も父親から継いだ配電機器メーカーの社長をしていたでしょう。思いがけないきっかけや運をつかみ、それを形にできるかどうかは、過去に積み重ねてきた努力や失敗から学べたかどうかです」
高岡社長の父親は、昔から「市場は池だ。水が少ない小さな池に何かを浮かべても、すぐにいっぱいになってしまう。ビジネスをするには、水がたっぷり入る大きな池を相手にしないといかん」と言っていたといいます。
最初に狙った池、つまり市場が時が経つにつれて縮むことがある。そうなった際には、池を変える必要があります。ただ、そこに浮かべる事業そのものを変える必要はありません。会社そのものを潰さず存続するには大きな池にものを浮かべる努力をすることです。
「事業が先細っていた中部化学機械製作所は、マーケットを変える必要がありましたが、会社の資産はそのまま使うことができました。会社のコアの技術を使ったクッション材をもっと価値が発揮できる市場に事業転換をはかれれば、可能性は広がります。
本業が先細ってきた時に会社のトップがやらないといけないことは、会社のコア技術を生かせるマーケットを狙い、これまでとは違うロジックで商売をしていくことです。過去のやり方にとらわれすぎると失敗してしまいます」
エアウィーヴが、世界の一流アスリートたちに選ばれる寝具メーカーとしての確固たる地位を確立させた立役者の中には、フィギュアスケータ―、浅田真央がいました。
彼女がエアウィーヴの製品を愛用するようになった背景には、高岡社長が過去に経験した努力や失敗から生まれた、戦略がありました。
次回は、本業転換後に、エアウィーヴがいかに自社にあった戦略を選択し、集中させてきたのかをひもといていきます。
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取材・文:守屋美佳
撮影:曾川拓哉
編集:松浦美帆、野上英文
デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)