NTTコミュニケーションズ株式会社(以下、NTT Com)には、陸上養殖の先進的なICTシステム構築に取り組んでいる社員がいる。スマート水産業において社内随一の実績を上げ、水産庁のスマート水産業現場実装委員会の委員なども務めるソリューションコンサルティング部 地域協創推進部門の山本圭一担当部長(以下、山本さん)だ。「陸上養殖の常識を変える」と期待される画期的な研究に関わる山本さんのルーツや情熱の源、その先に広がる夢とはーー。
現場を理解し、徹底的に寄り添う
山本さんはNTTに入社し、25年以上、法人営業一筋で歩んできた。転機になったのは、東日本大震災。NTTドコモ 東北復興新生支援室のリーダーに抜擢され、被災地の復興支援にあたった。
一次産業の人との関わりが増える中、宮城県東松島市の海苔・牡蠣の養殖漁師と出会う。津波で全てを奪われたものの、2年をかけて船や設備を再建し、養殖を再開した頃だった。その漁師の販売支援やブランディングを担当していたある日、切実な要望を聞いた。
「海の状態を『見える化』できるシステムをつくってもらえないか」
聞けば、これまでの経験と勘が通用しなくなったと言う。背景にあったのは、温暖化などによる海洋環境の大きな変化だ。魚はもちろん、海苔や牡蠣の成長度合いは水温や塩分濃度で変わる。そうした海の状況を経験や勘ではなく、正確に測定してデータで判断する必要に地元漁師は迫られていた。
この相談に対して山本さんが提案したのは、通信機能とセンサーを搭載した「ICTブイ」の設置だ。養殖する海の上は、NTTドコモの電波がつながる。従来は海に出て計測していた水温などのデータを、手元のスマートフォンで手軽に見られるようにシステム化した。
こまめなデータ収集が可能になったことで漁獲量が安定し、作業効率化、燃料節約などにもつながった。ICTブイの評判は養殖漁師の口コミで広がり、日本の水産業のスマート化をリードするソリューションとして注目を集めた。現在、全国で約100台が稼働中だ。実際に利用する漁師からは、「ICTブイのない養殖には戻れない」という声が寄せられている。
当時の経験を、山本さんはこう振り返る。
「私は水産に詳しくなかったし、企業の当たり前は漁業者の当たり前ではない。心がけたのは、とにかく漁業者の話をよく聞いて、考えを理解し、徹底して寄り添うこと。その姿勢を貫くことによって、一緒に課題解決をすることができ、信頼もしてもらえた」
ICT技術を活用し漁業者の役に立つソリューションを生み出せば、漁獲量拡大はもちろん、人手不足や高齢化問題の解消にも貢献できるという確信が、山本さんの中で生まれた。
沖縄からのラブコール
そんな山本さんに、沖縄の“陸上”から大きな期待を寄せたNTT Comの同僚がいた。沖縄振興担当で、ソリューションコンサルティング部 地域協創推進部門の野瀬英則担当課長(以下、野瀬さん)だ。沖縄では、陸上の施設で魚を育てる陸上養殖の新たな取り組みが動き出しており、「山本さんの力がきっと必要になる」と考えていた。
陸上養殖は、海上養殖よりも高度な技術を求められる一方、生育環境をコントロールしやすく、安定した漁獲量を見込める。そのため近年、参入が急激に増えている。水産庁によると、2024年1月時点の参入企業は660社超。2022年に約83億円だった陸上養殖の出荷額(メーカー出荷金額ベース)は、5年間で35億円以上増えるという試算もある。
沖縄で始動していたのは「アカジン」の陸上養殖だ。普段は白い体色だが、天然の環境下で興奮すると体全体が赤く変化する。沖縄で人気の高級魚で、お祝いの席などで食べられるほか、海外での人気も高い。しかし、非常に繊細な性質を持つため、養殖には高度な水質コントロールが必要で、赤い体色のアカジンを養殖するのは「不可能」とまで言われてきたのだ。国の研究機関も陸上養殖を試みたが、天然の魚のような体色を再現することはできなかった。
そんな中、沖縄で養殖業を営む「紅仁(あかじん)株式会社」(以下、紅仁)は、2019年5月に体色を赤くさせるアカジンの陸上養殖に成功したと発表した。このニュースは、業界関係者を驚かせた。台湾・中国の陸上養殖技術に精通する同社の後藤社長が、国内の他の事業者が持っていない先進的な技術を持っていたことが大きい。
「売る」のではなく「夢を共有する」
2019年夏、紅仁の養殖場を訪ねた山本さんは、後藤社長の独自の技術に触れ、「日本の養殖を変えるくらい、革新的で素晴らしい」と衝撃を受けた。アカジンの養殖技術と、NTT ComのICT技術を組み合わせれば、より安定的にアカジンを育てることができ、スマート水産業の可能性も広げられると直感した。
後藤社長は、なぜこの事業に取り組んでいるのかを熱っぽく語る。
「アカジンは高値で取引されるから県外や海外に売られてしまい、沖縄の人はあまり口にできていない。ここでつくって、みんなが食べられるようにしたい。日本の陸上養殖は遅れている。自分がアナログでやってきたノウハウや勘を形にして、若い子が地場で働ける場所を少しでもつくりたい」
その後藤社長のビジョンに、山本さんは共感した。自分に何ができるのかーー。ここでも「理解し、寄り添うこと」を実践する。
「一緒に作業をしながら、陸上養殖のICTシステムをつくっていきませんか」
それは、後藤社長も望んでいたことだった。
「たくさんのIT会社が訪ねてきたが、他はみんな、『こんないいシステムがあります』『これを使えばうまくいきます』と売り込むだけだった。山本さんだけが、一緒に養殖に取り組み、ICTで養殖の何がどう良くなるのか、一緒に考えていこうと言ってくれた」
ICTに任せること、任せないこと
こうして2023年夏、後藤社長と山本さんによる“共同作業”が本格的にスタートする。那覇から車で2時間超、県北部の小学校跡地につくられた養殖施設には現在、約100の水槽がある。
山本さんは、月に10日は紅仁に泊まり込みで滞在。山本さんが不在でも、NTT Comの社員が最低1人は常駐し、一緒に作業をしながら管理用システムをチェックできる体制を組んでいる。
共同事業が始まり、まずは水槽の見える化に着手した。アカジンの生育環境を細かく把握するために構築したのは、ICTブイをベースとしたシステムだ。
ただ、海上養殖と陸上養殖では、計測する項目は異なる。後藤社長と山本さんは養殖施設で一緒に作業し話し合いを重ねながら、一からシステムを設計。水質などの各種データを自動計測するシステムをつくっていった。現在、魚の体長や体重の自動計測、魚の活性度の数値化など、さまざまな研究を行なっている。
ここまで、一筋縄でいったわけではない。どこまでのデータ取得が必要かで、意見が分かれたこともある。山本さんが水中にAIカメラを設置しようと提案し、「そのカメラでは魚が傷付く恐れがある」と後藤社長に反対されたこともあれば、「そこまで高価な設備が必要なのか」と言われたこともあった。
いろいろなことを試行錯誤する中、後藤社長は「餌やりだけは自動化しない」と決めた。
「餌やりは、魚の状態を観察する貴重な機会。省力化によってできた時間で、魚にきちんと向き合いたい。季節や気象によって、どんな餌をどのタイミングで与えると魚の体調がどうなるのか、重要なデータを蓄積できる場でもある」
2人は、ICTに任せること、ICTには任せないことを、共に学んでいった。
高いハードルを越えた先に広がる未来
現在、アカジンの陸上養殖ICTシステムは、2024年度の商用化をめざしてPoC検証が進んでおり、水質管理や成長管理などの成果が表れてきている。さらに、後藤社長らは、「キジハタ」など別の高級魚の陸上養殖にも取り組み始めた。沖縄以外の場所での養殖も視野に入れている。
2人の目標は、アカジンの陸上養殖ICTシステムの完成だけではない。
「『できない』と言われることを成功させたい。めざすのは、『誰でもできる陸上養殖』。サラリーマンを辞めた人が翌日からでもできるようなシステムをつくり、養殖に携わる人を増やしたい」(後藤社長)
「陸上養殖を持続可能な産業とするため、長年の感覚や経験値ではなく、データの裏付けによってマニュアル化したい。そうすれば、全国で誰でもできる陸上養殖の実現が可能となる」(山本さん)
技術的に難しいとされるアカジンの陸上養殖ICTシステムが完成し、商用化されて全国に広がっていけば、その土地土地の魚の陸上養殖が新たな地場産業として興り、地方創生のビジネスモデルにもなるはずーー。山本さんと後藤社長は、そんな未来像を思い描いている。
2人のタッグは、未来を切り開く技術と、その可能性を広げるテクノロジーの融合だ。
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「ものを売る」のではなく「共にビジネスをつくる」
ICTブイの開発でも、陸上養殖のシステム開発でも、山本さんが一貫して心がけてきたことがある。それは、「われわれの技術やシステムを『売る』のではなく、お客さまと一緒に課題解決に取り組む」ということ。東北でも沖縄でも、それがビジネスを生み、地域振興にもつながっている。 - 「深い理解」と「徹底的に寄り添う」
ずっと法人営業をしてきた山本さんにとって、漁業者や養殖の世界の常識は知らないことも多かった。そこで、お客さまのことを理解しようと努め、徹底的に寄り添った。「同じ方向を見ている人」と思ってもらえたことで、信頼を得られ、プロジェクトが実現した。 -
あえて難題に挑む!その先に未来は広がる
水産業は、他の産業に比べてスマート化が遅れているが、その分、チャンスや可能性にあふれている分野とも言える。アカジンという養殖が難しい繊細な魚で「誰でもできる陸上養殖」のシステム化に取り組んでいるのは、あえて困難に挑むことで応用が容易になり、未来が広がっていくという信念があるからだ。